肩書きは、その者の全てを表さず

名刺交換

本日は「肩書きを過信する愚」について書きます(キリッ)。
これはネット上に限らず、日々のリアルな生活の中でも遭遇する事例なのですが…

スーツを着た「○○コンサルタント」や「××コーチ」を名乗る人が、「いつか、誰かが言っていたような事」を話すと、なぜか人々は「良い事を聞いた」「勉強になった」と、殊更(ことさら)にそれを称賛するんですよね。

私も、御多分に漏れず成功法則本の類いを貪るように読み漁った人種でしたが、そういった本の著者の講演を聴きに行くと、まるで「それさえ言っておけばハズレは無い」とでも言わんばかりに、殆ど全ての方が(多少の語彙の違いはあれど)返報性の原理云々の話はしていましたねww

しかし…よく思い出してみて下さい。

そういった話は、(私も含めて)その人のそれまでの人生の中で、何度も聞いている筈じゃありませんか??

例えば、中高生の頃に「因果応報」という言葉を習ったと思いますが、この言葉は、件の「返報性の原理云々」の話を「良い意味での返報」ばかりでなく、「悪い意味での返報」をも含めて四字熟語化したものです。

あるいは「鶴の恩返し」や「花咲か爺」といった昔話の類いも、子供にも受け入れやすいように描写しているだけで、言わんとする事は同じです。

既に知っている筈の事を「○○コンサルタント」や「××コーチ」、あるいは「△△セラピスト」を名乗る人達から聞くと、何故に人々は殊更に感動するのでしょうか??

権威ある人物の追認による、情報価値の増大感??

まぁ、分からなくもありません。

「肩書き」というものは、その人の職業上の役割や業務上の能力を端的に表明してはいるワケですし、医師が薬品について、あるいは弁護士が労働基準法について見解を述べる時、他の素人の発言よりも詳細で信憑性があるでしょう。

どうやら、人は既知の知識であっても、自分よりも社会的影響力の強い人物がそれを追認してくれる事によって「情報価値の増大」を感じるみたいですね。

まぁ、そこまでは良いとして…

肩書きが、その人の「全て」でしょうか??
肩書きさえ信用できれば、その人の全ての発言や行動を肯定、あるいは支持できますか??

例えば、あなたの住む街に全国的にも有名な「名医」が勤める病院があったとしましょう。地域住民からの信頼も厚く、毎日、受診を望む患者が長蛇の列を作って順番を待っています。

その場合、確かにその人は医師免許を持った「医師」であると同時に、実績を積んだ「名医」であると言えます。

しかし…

認知科学上、その評価は「医学」や「医療」というフィルターを通して社会を見渡した時に認識される、「一塊の情報群」に過ぎないワケです。

ちょっと難しいですか??
では、もっと具体的に描写すると…

その人は確かに名医かもしれないが、

●家に帰れば、妻や娘に疎まれている『寂しい父親』かもしれない
●趣味のコーラスサークルの中では『ジャイアン』と呼ばれるほどの音痴かもしれない
●競馬が好きで、かなりの借金を抱えているかもしれない

これで解ったと思いますが、「肩書き」の運用上の定義というのは
ある人の、社会の中での一定の活動を符号化したもの
であるワケです。

なので、その人が本当の事を言っているかどうか、本当に信頼するに足る人物であるかを確かめる術は二つしかありません。

一、その人と同じ分野の知識や技能を、自分でも身に付ける(単純比較)
二、その人の専門分野に於ける言動だけではなく、他の分野やプライベートまでも含めて総合的に判断する(全人的評価)

お解り頂けましたでしょうか?

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