臨場感というもの

脳と心

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さて、臨場感(リアリティー)という言葉を聞くと、ついつい「マトリックス」のようなSFX映画を思い浮かべるのは、私達大人の悪い癖なのではないか…と思った次第です。

いや、もちろん、マトリックス自体は「臨場感創造技術」を扱ったストーリーではあるのですが、先日、私は息子の机の上に置いてある「あるモノ」を見て、物理存在と人間側の認知の関係についてのゲシュタルトを、もう一度分解・再構築する必要があると感じました。

折り紙の箱庭

その「あるモノ」とは、息子が折り紙で作った、恐竜時代を模した箱庭であります。

なにしろ、私の息子は5歳の頃から一貫して、「大人になったら考古学者になりたい!!」と言い続けている程の恐竜マニアです。

まぁ、折り紙でこれだけの種類の恐竜を折るには、かなりの時間を要したとは思いますが、息子自身にとっては、まさに原初の地球を創造している神の如き気分だったであろう事は、容易に想像できます。

さて、この折り紙で作られた箱庭の特筆すべき点は…
そう、ほとんどタダに近いという事です(爆笑)

私が最初に「大人の悪い癖」だと言ったのは、まさにこの点です。
いつの時代からなのかは判りませんが、私達大人は「高いモノや金が掛かっている技術ほど、存在が確固としている」という認識を、当たり前のように抱いてしまっているわけです。

確かに、工業製品等などは高いモノほど頑丈に造ってあって、長持ちする場合が多いでしょう。
しかし、「臨場感空間内での存在価値」という事になると、もはや金銭的なコストなど全く意味が無くなります。

高くてオシャレな服を着ている人は外見上は華やかに見えますが、いざ話をしてみて共通の夢が描けなければ、その人と親密な関係になる事は無いでしょう。

一本10万円するゴルフクラブを振ったからといって、心までセントアンドリュースに飛んで行くアマチュアゴルファーが、一体どれほどいるでしょうか。

それこそ国家などは、一機あたり何十億円もする戦闘機を何十機も所有していますが、一度として人々に「平和の臨場感」を与えた事はありません。

与えられた価値ではなく、自ら創造した価値を心の根底に据えれば、ワザワザ首にプラグなんか差さなくたって、この宇宙の何処へでも行けるという事ですね。

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